菊池省三先生の分析的理解

今日は教員である叔父,叔母に誘われ,菊池省三先生のワークショップに参加しました。菊池省三先生といえば北九州市の小学校で子どもの荒れと向き合いながらも,巧みであり洗練された,かつ卓越した指導によって一躍注目を浴びている先生であることは私も知っていました。なぜなら「プロフェッショナル」を見たからです。

 

今日は菊池先生の話を通して,その指導のどこにスパイスがあるのかを垣間見ることができればと思っていました。そこで,話のキーポイント同士を結びつけ,分析的に考察を加えていくことで菊池先生の思考を一面的に理解することに試みました。

 

午前・午後に及ぶワークショップを通して挙げられたキーポイント・キーワードはかなり多くありますので,それらを言語化することは非常に難しいことですし,私がここで言語化したとしても,たった1回話を聞いただけの私が挙げるキーからでは,菊池先生の実践全体を理解することには繋がらないものと思います。ここでは私が感じたことのポイントを絞って書き綴ることといたします。

 

菊池先生が指導している小学生で特記するべきことは,子どもたちの卓越した,言語による語りにあります。「ほめ言葉のシャワー」ではタケノコの如く,間髪を入れずに次々とほめ言葉が飛び出してきます。子どもの代表者数名はホワイトボードにびっしりとその日にほめ言葉を浴びせられる子どもの良いところ(ポジティブに変容してきている様子)をびっしりと書き込み,なぜそのように考えたのかをさらに言語化して説明しています。子どもは言わされているという自覚は全くなく,100%自分の考えによるものです。しかし,その考えを発想するまでの過程で菊池先生の指導がしっかりと入っているため,大人が聞いても遜色のないしっかりとした思考で構築されています。

 

その段階に行き着くには,菊池先生による学術的要素の分析,また小学生が理解し得る説明,さらには子どもに落とし込んで(何が足りないのかを)分析的に捉えさせたり,その分析結果からどう改善した取り組みができるのかを考えさせて取り組ませたりなど,子どもが主体となって取り組める活動を展開してきたことが話されました。

 

子どもに「色んな考えがあること,人がいること」を「理解させる」のではなく,「実体験を通して体得させている」ということです。ほめ言葉を受ける側は,ただ「ありがとう」ではなく,さらに自分の成長する姿で周りの期待に応えようとする姿がVTRからもよく伝わってきました。それで成長し合う集団が合意的に形成されていっているのだなと思います。菊池先生の役割はまさに花(子ども)が成長していくために水や肥料をあたえる「育成者」だと言えるでしょう。

 

菊池先生は子どもの言語,また非言語によるコミュニケーション術に非常に精通していることが明らかに感じられました。そしてプラスの側面に焦点を当てた思考かつ教師ー子ども,子どもー子ども間フィードバックが態度面にプラスの効果をもたらしていくこと,それがお互いに高め合っていく集団形成につながるという教師としての信念からも多くのことを私自身学ぶことができました。

 

即興的な活動,étudeのような活動,ディベート活動…などそれぞれの活動に対しステップをしっかり踏ませていくことで子ども達が高みに到達するのです。その精緻な軌跡は芸術作品だとも思えるようでした。菊池先生が取り組んだ実践をただ真似してやってみるのではなく,菊池先生の本質を理解し,生徒を理解し,真剣に対峙し,適切な活動を自分なりに調整しながら提示・実践していくことで色んな応用が効くようになると思いますし,中学生の変容も促していけると思います。 そうすることが大切なことは英語教育においても全く同じことが言えることを私は感じてきました。

 

菊池先生は「調える」ことの重要性を語っていました。教師の思惑に一方的に「整える」のではなく,生徒の多様な人格,思考,行動に「教師の思惑を調える」ことだという意味であるように私は解釈しました。私もこの「調える」ことにエネルギーを注いでいるものですから,非常に同調することができました。

 

今日は菊池先生の教育に対する熱意に多くのことを学んだ1日でした。インスパイアされました。菊池省三先生ありがとうございました。